経済的な成功をするときには、過去の自分が信じてきたものを捨て去らなければならない
例えば、学校で教わったこと
道徳
体育祭や文化祭
修学旅行
校長の演説
そういう事はすべて、僕たちをサラリーマンにするための教育だ
だって、やってる事は、朝の朝礼、新年会、忘年会、社員旅行のリハーサルじゃないか
道徳だってそうだ
人の道、我慢をすればいいとか、挙句の果てに傘地蔵みたいな超貧乏人が神様からご褒美をもらうストーリーを美化している
いやいや、そんなことないからさ
お地蔵さんに傘をあげたからって、ご褒美があるわけないだろう!いい加減にしろ!
そんな事を美徳として、教えている学校とは何なのか?
傘地蔵の話でいうなら、具体的にどういう風に行動すればいいのか、どうすればおばあさんもおじいさんも助かるのか、現実的な話を教えるべきだろう
神様にお願いしてもお金の問題は解決しない
神様はお願い事をして願いをかなえてくれる存在ではないんだ!
日本昔話を信じて、お賽銭箱にお金を入れて、お願い事をしている
なんて馬鹿らしいんだ
お願い事をするならしてもいいけど、他人のために祈るとか、そういう事ならわかるけど
10円くらいの小銭をお賽銭箱に入れて、年収1000万円のお金持ちにしてください、みたいなことをお願いしている
正気とは思えない
それを大の大人がやっているから、もうどうしようもない
親は成功者か?
親は、パソコンがない時代、ネットがない時代、スマホがない時代に生きてきた
だから、僕たちとは、全然違う
感覚も違う
人間的な生き方は知らないが、
歳をとっているから、という理由で自分の方が正しいと思い込んでおり、年下は年上のいう事を聞くべきだ
なんて、思い込んでいる
いやいや、あなたが、自分の目指す理想像だったら土下座しても話聞きますけど?
でも、どう考えても、幸せそうに見えないし、もう一つ言うと、誰かに利用されているだけだ
従業員の根性論を振りかざして、大人が子供を教育しようとしてくる
しかも、大人はオトナが100%正しくて子供は100%間違っているという前提だからたちが悪い
僕の母親は、根っからのサラリーマンだ
もちろん、シングルマザーで、僕を育ててくれたことには感謝をするが、メンターに教えてもらったこととはほとんど違う考え方を持っている
ぜんぜん違う
絶対に合わない
来年の給料が自分次第で何倍にもなる人生を生きている人間と
いくら頑張っても時給や月給が決まっているから、出来るだけさぼってお金をもらおうと考え続けてきた人間とでは、全然マインドセットが違うんだ
できるだけサボってお金をもらおう、という性根が何十年も続いている親から何を学べばいいのか?
僕は、サボれば死が待っている
楽しく仕事をしていれば、来年の月収は50万円くらいにななるのかもしれない
月給、時給で生きていた親とは全く価値観がずれてきている
メンターが親にきちんと説明しているから、親は大人しく僕をサポートしてくれている
メンターはいなければ、僕はパソコンすら買えなかっただろう
親はもっと安いのを買いなさいとか、中古でいいとか言うが
メンターは、仕事道具は、値段が高ければOKというわけではないけど、それなりにいいものを買いなさい、壊れにくい、サポート付きの新品の最新のものを買いなさい、と言った
メンターと親とでは、言ってることがまるっきり逆だ
親が成功者だったら、僕の考えも受け入れてくれたんだろうけどさ
親が自営業の人がうらやましいよ